私は天使なんかじゃない
揺らぐ平穏
誰もが感じていた。
平穏という薄氷の下で蠢く動乱に。
リベットシティ。Dr.リーの私室。
老人は迷惑そうな顔をした部屋の主である女性科学者を一切無視して出されたコーヒーを音を立てて飲んでいた。
部屋には2人だけ。
部屋の女主人であるDr.リーはリベットシティの科学部門の責任者であり、リベットシティ評議会の議員の1人。とはいえこの権力者は物質的な欲求は特に持ち合わせておらず、部屋に
置かれている調度品や備品は最低限の量&室で満足していた。ただ、個人的な研究をここですることもある為。セキュリティには力を入れていた。
完全な防音の部屋に仕立て上げていた。
「それで? 満足かしら?」
「んん? ああ、もう一杯コーヒーを頂けたら幸いじゃな」
「コーヒーの話じゃなくて……」
イライラを極力抑えながら女科学者は言う。
正直、この老科学者とは昔から馬が合わない。
Dr.ピンカートンは確かに才能はあったが言動と行動に傲慢さが滲み出てる人物だった。だからこそ誤解され易いのだが、人はそれを傲慢さの表れと取り、結果としてリベットシティ創設者
という立場でありながらDr.ピンカートンは半ば追放される形でリベットシティ運営から外された。その後釜に推薦されたのがDr.リーだった。
彼女としては面白くないのは当然だろう。
自分が実質追い落とした相手が返り咲いたのだから。以前以上の立場となって。
それに加えて現在では大きな差が出てきていた。自分が要塞で臥せっている間にジェファーソン記念館でのエンクレイブとの決戦は終結し、老科学者……Dr.ピンカートンはリバティプ
ライムの責任者となりサラにジェファーソン記念館の責任者にまでなってしまった。BOSは復帰した彼女に補佐の地位を与えようとしたがDr.リーはそれを拒否、リベットに戻った。
BOSもそれを了承した。
それもまた、Dr.lリーには面白くなかった。引き止めなかったのだから。
もちろんBOS側にも打算があった。
Dr.リーがリベットシティの議席を持ち、議会を牽制できる立場であるわけだから、リベットシティに睨みを利かせれる人物として期待していた。とはいえDr.リーはそれを好意的には解釈せず、
お払い箱にされたと認識していた。だからこそ彼女は議会運営から一歩下がり、土壌を必要としない農作物の研究に取り組んでいた。
「Dr.ピンカートン」
「コーヒーのお替りではないのなら、ああ、クッキーでも出してくれるのかな?」
「くだらない話はやめましょう。私は茶飲み話をしている暇はないの。FEVはちゃんと保管されてたでしょ? 問題は?」
「ないな。まったくない。当てが外れたぐらいじゃ」
「相変わらず皮肉屋ね」
「お前さんもな」
リベットシティにはFEVがある。
ボルト87を見る限り、そのウイルスはスーパーミュータント製造にしか使われない……と思われがちだが、実際は違う。
FEVは強制進化を促すウイルス。環境に合わせて感染したものを自動的に肉体的な進化を促す。劇的に。
元々は戦前のウイルスで、中国側のウイルス攻撃がアメリカ本土に行われるのではないかと危惧されていた頃、ウエストテック社と呼ばれる戦前の医療系メーカーがアメリカの依頼によって
作られた一種のワクチンだった。しかしウイルスは変異、感染者の細胞を進化させる代物となる。結果アメリカはそれをスーパーソルジャーを作るために使用する為、実験を重ねた。
その後全面核戦争勃発。
狙ったのか偶然なのか、中国側のミサイルがFEV実験施設に着弾、ウイルスは飛散し、人類は感染した。
ボルトの人間やエンクレイブが純血な人類と呼ばれるのもそれゆえだ。隔離された緩急に逃げ込めた彼ら彼女らだけが、FEVに感染しなかったのだから。
それ以外の人間は多かれ少なかれ変異した人類。
現在は空気中のウイルスは既に死滅しており、ウェストランドの人々は代を重ねるごとにウイルスの影響から脱し始めていた。ウイルスは血から伝染する。代を重ねるごとにその血は薄まり、
感染から解き放たれてはいるが、純血な人類から見たらやはりミュータントではあった。
つまり。
つまりFEVは進化を促す効果がある代物であり使いようによってはこの荒れた大地の再生にも使える。とはいえその進化が制御出来るかと言えばそうではなく、危険でもあった。
リベットシティに厳重に保管されているFEVも有用ではあるが、危険過ぎて使えない、という意味合いで保管されている。
要は捨てるには惜しいが使うのも危険、というわけだ。
保管されているFEVは5つのセキュリティの扉を越えねばならず、入室権限は議会の承認が必要、入室はモニターされ、さらに記録される。
絶対に強奪できない、というわけではないが、誰にも知られずに強奪は出来ない。
Dr.ピンカートンもそれを認め、強奪は否定していた。
「だけど分からないわね、本当にアクアビューラにFEVが混ざってたの?」
「資料は見せたはずじゃ。記録は嘘はつかん」
そこまで言ってから老科学者は肩を竦めた。
「記念館の博士どもが機械の使い方を間違っていない限りは、その資料は間違っておらんよ」
「何故混入したのかしら」
「ワシらは一日に精製可能な水を検査、それをペットボトル詰めしてここに運んでおる。FEVが検出されるなら全部に混入されていないとおかしい。少なくともペットボトル詰めした時点では真水じゃ」
「やはりここで混入されたと?」
「何とも言えん」
「あら? 随分と謙虚ね。疑り深いあなたらしくない」
「混入されていたペットボトルには微小の穴があった。ちまちまと注射器で数滴混入させてるのじゃろうな。ここでそれが可能か? 輸送の準備やらでごたごたしているここで?」
「無理ね。人がごった返してる。忙し過ぎて注意力が散漫しているにしても、誰かが必ず気付くわ」
「それにFEVの入手ルートも分からん」
「当てが外れて悪かったわね。ここのFEVは厳重よ。それに小さな一瓶だけ。培養する? 無理ね。迂闊に培養したらバイオハザードになる。リスク高過ぎるわ。それに、意味ないし」
「無差別なテロじゃない限り、意味はないな」
「研究室も必要だしテロの元となるFEVも必要。……もしかして私を疑ってた?」
「何だかんだでこんな芸当出来る人間は限られるからな」
「それはそれはどうもありがとう。でも違うわ。ねぇ、ボルト87からFEVを持ち出した誰か……例えばエンクレイブの犯行とかじゃない?」
「とはいえお前さんを疑ってたといっても1パーセント以下じゃよ」
「……? いきなり何を……?」
「ブッチがこいつを飲んだ」
「ブッチ……ああ、ティリアスの友達の?」
「奴は死なんかった。何故かは知らん。ウイルスの種類が違うのかもな。そもそもFEVは変異を促す代物じゃ、いきなり死ぬのはおかしい。飲んだグールはいきなり死んだらしい」
「つまり、一度変異したものは、死ぬってこと?」
「お話し中、失礼しますっ!」
突然扉が開く。
Dr.ピンカートンを護衛してここまで来たBOSのパワーアーマーを着た兵士が入ってきた。この部屋は防音、ノック音も聞こえない。扉の横のインターホンで本来は中の人間に知らせることが
出来るのだが兵士はそうしなかった。礼儀がなってない、というよりは声からして動揺しているようだった。動揺していきなり開けたらしい兵士は思い出したかのように敬礼した。
立場上、Dr.ピンカートンが上司になる。
「何じゃ」
「博士、ただちに要塞にまでお越しくださいっ! 要塞から呼出し命令が来ました。その、先ほど無線でその旨の通達があったのです」
「呼出しじゃと?」
「要塞から派遣され、博士の補佐をしていたスクライブ・ビクスリーが拘束され、要塞に移送されましたっ!」
「どういうことじゃ?」
「反乱です、博士っ!」
「反乱?」
思わずDr.リーと目を合わせる老科学者。
「あいつが何をした? 何じゃ、ワシの秘蔵の酒でも飲んだか? そいつは大事……」
「しばらく前に水を輸送する部隊を捕捉しました、パワーアーマーを着た輸送部隊です、アンダーワールドに向かっていました。それを、巡回中の友軍が見つけました」
「ふぅん? で?」
「BOSは輸送には関知していません、知っているでしょう? 誰何しようとしたら撃ってきて、戦闘になったと。殲滅はしましたが連中はこう名乗ったそうです、COSと」
「何じゃ、それ」
「Circle of Steelの略ですっ! 悪しき教えが……っ!」
「Circle of Steelですって?」
「ん? 知っておるのか、Dr.リー」
「ええ。ずっと以前はジェームス、キャサリン、私とでBOSと行動してたから。詳しくは知らないけど、リオンズが前に言ってたわ、BOSの暗部だって。神経を尖らせているようだった」
「ともかく博士っ! ただちに要塞に……っ!」
「何だってビクスリーが拘束されるのじゃ? 根拠は?」
「掃討した敵の1人が死ぬ前に水にFEVを混入させたと言っていたようです。要塞でもそのことで大騒動となり、その際に数名が挙動不審な行動を取ったとのこと。尋問の結果、そいつらもCOS
であることを認めたようです。ただ、その、全員自害したとのことですが。スクライブ・ビクスリーは水の横流しをしていたようで、拘束を。前々から要塞の方で横流しの件を内偵していたようです」
「奴もその、COSとかいう連中の仲間だと疑って拘束したのか?」
「それ以上のことは分かりません。エルダー・リオンズが直々にお話ししたいとのこと。至急、行かなければなりません」
「やれやれ、急展開じゃな」
展開が早過ぎる、老科学者はそう思った。
ただまだ断定はできない、彼は内心ではそう考えていた。展開が出来過ぎてる。
「聞いての通りじゃ、Dr.リー。犯人はBOSの身内のようじゃ。疑ってすまなかったな」
「嘘ばっかり」
「ん?」
「こんな出来過ぎた展開、信じてるわけではないんでしょう?」
「何のことかな?」
「まあいいわ。しばらく研究はやめにするわ。外では問題が起きてきてる、リベットも関わってると思う、いずれにしても単独ではこんなこと無理よ。大きな動きがあるのかもしれない」
「確かにな。あんたも気を付けるんじゃぞ」
「ええ。そうするわ」
Dr.ピンカートンがBOSと帰ってから30分後。
Dr.リーの私室に来訪者が来ていた。
2人。
どちらもリベットシティのセキュリティに関わる人物。1人は黒っぽく染めたバイザー付きのヘルメットを被り、暴動鎮圧用のアーマーを着こんだセキュリティ兵士。体型的に男。
もう1人は若干緑がかったコンバットアーマーを着ている女性。こちらはヘルメットは被らず顔を晒している。
「何があったの、ダンヴァー司令」
「報告があります、Dr.マジソン」
女性の名はダンヴァー。
前任のセキュリティ責任者ハークネスがいなくなったのでセキュリティ部隊の責任者に繰り上がった。
リベットシティ創設に関わった父親がおり、その議席を継いでいた。ただ格としてはDr.リーよりも下となるため敬語を使っていた。前任のハークネスに比べると手腕の面で劣るものの、セキュリティ
隊のバイザー部分を色つきにすることにより面割れを防いで制裁した犯罪者からの報復から守ったりと改革を進めていた。
もちろん面割れ以外のことも彼女は狙って行っていた。
黒塗りにして顔を分からなくすることで、得体のしれない感じを市民に与える為だった。威圧することにより治安を維持しようとする狙いもあった。
最近リベットは揺れている。
上層デッキと下層デッキの住民とでトラブルが続出している。
議会に対しての反感も強まっている。
ダンヴァー司令はセキュリティを増員し、可能性としては否定できない反乱に備えていた。もちろん反乱に備えている、とは言わずに水の運搬の為の警備兵増員という名目だ。実際水の運搬
には手が回らず増員する必要性はあったわけだから、全くのデタラメではなかった。
「それで報告とは?」
「ガルザが死にました」
「えっ?」
心臓病を患っていた、Dr.リーにもっとも心服していた男性。
ジェファーソン記念館脱出の際にも彼女の側にいた。
「そんなに悪化していたの? 薬はちゃんと……」
「Dr.プレストンに検死を依頼しました。ただ、検死はあくまで儀礼的なものだと言っていました」
「どういうこと?」
「毒です、Dr.マジソン」
「毒?」
「薬は毒でした。どうも何者かにすり替えられていたようで」
「……」
「犯人の目星は付いています。必ず捕えます。その為の部隊の投入を、追撃の為の部隊の投入を提案します。彼は下層デッキに無移住させられましたが今もって研究ラボに籍を持ってます。
つまりあなたの管轄です、Dr.マジソン。議会を通さずとも、あなたの裁可があれば部隊の投入は可能です」
「……」
「Dr.マジソン」
「え、ええ、許可します」
リベットシティ。通路。
Dr.リーの私室を退去したダンヴァー司令とセキュリティ兵士が歩いている。
「ただちに追撃の準備を。編成の人選は私がします」
「はい、司令」
「それと、本当なのね? ガルザが、その、Dr.マジソンの研究品の横流しを誰がしたか調べていたというのは?」
「この耳で確かに」
「……まずいわね。私の立場が」
「ガルザは死に、もう1人を始末したら誰も真相を知らずに終わります」
「し、始末?」
「別に捕えて連れてくる必要はないでしょう、ウェイストランドの掟を実行するまでです。目には目を、ですよ」
「……」
「司令」
「え、ええ、何?」
「人選は自分にお任せください。口の堅い、気心の知れた奴らを使いますから。事の真相はどうとでもなります。ガルザともう1人の盗人の仲間割れ、というのが一番手早いですかね。放置
するのも手でしょうが犯人がベラべラとどっかで喋れば面白くないのは事実でしょう? 万事うまくやります、お任せください」
「分かったわ。あなたに任せる」
「かしこまりました。必ずブッチ・デロリアを始末してまいります」
「期待しているわ、ジェリコ」
「そうよ、直ちにこっちに来てっ! COSで忙しい? 何よそれ? 知らないわよ、そんなのっ!」
怒鳴りながらコンバットアーマーの女性は無線機を切った。
場所はDC残骸にある廃工場。
戦前はアブラシオクリーナーという洗剤を作っていた、タコマインダストリィという工場内。
現在施設はライリーレンジャーが抑えていた。
部隊員が彼女の周りで防御態勢で待機している。敵が戻ってきても不思議ではないからだ。
警戒は続いている。
先ほどまでいたタロン社の残党部隊は突然現れたレッドアーミーに護られる形で撤退。あのまま居座られたら何人死んだでしょうねとライリーは心の中で呟いた。傭兵である以上、必ず全員で
生還できるという保証もないし、彼女もそんなメルヘンは信じていなかったが、やはり死傷者がいないというのは安堵に繋がる。
もっとも彼女はそれを顔には出さない。
常にクール。
それがライリーがライリーたる所以だ。
「クソBOSめっ!」
舌打ち。
ライリーレンジャーは基本としてBOSからの依頼で動くし、今もそうだが、別段好意は持っていない。あくまでビジネスだ。
ビジネスである以上、好きでいる必要はなかった。
「援軍は来てくれないのか、ライリー」
「フォークス」
スーパーミュータントのフォークスが地下から戻ってくる。
地下の汚染度は高く、生身では無理だった。
あいにく防護服は持ってなかった。
だから彼に頼んだ。
ミスティを通じて知り合い、酒飲み友達となったフォークスに。
「どうだった、フォークス」
地下には信じられないものがあった。
歯車状の扉。
ウェイストランドの人間ならそう聞けば誰でも分かるだろう、それはボルトの扉だと。見たことない者が大半ではあるが、知識として誰でもが知っていた。ライリーレンジャーは仕事柄、基本は
DC残骸で動いてはいるが、各地を移動しているのでボルトに潜入したことがある。ただ地下にあったものは奇妙だった。
扉にナンバリングがなかった。
ボルト101なら101と記され、ボルト112なら112と扉にナンバリングが記されている。
しかしタコマインダストリィの地下にあったボルトの扉には何の数字も記されていなかった。もっともガイガーカウンターが騒ぎまくり、生身では近寄りすらできなかった。
「シークレットボルトだな、あれは」
「シークレットボルト?」
「秘密のボルトだよ、ライリー。ボルトテック社が、開始や独自の研究の為に秘密裏に作った代物だ。もしくはどこかの伝説的な金持ちや組織が直接ボルトテック社にねじ込んで開発して貰った
ボルトだ。そういうボルトは当時の政府も把握していなかっただろう。おそらく今のエンクレイブも。内部を見てきたが、これはボルトテック社の研究施設だ」
「放射能が凄かったけど……ここには届いていない、あれは扉の奥から出ているのね、内部で流出事故でもあったの? その痕跡は?」
「ある意味で警告でもあった。放射能はフェイクだ。確かに高濃度はあったが、防護服があれば入れる。しかしライリー、仮に防護服があっても入りたいか? ありかね、それは?」
「ないわね」
「つまりはそういうことだ。あれは扉を破って入って来た者に対する、警告であり、トラップだ。ここから先に入って来るなというな」
「分からないわね。そこまでするならタレットでも何でも武装しておけばいいのに」
「仮に破られても事故を起こしたボルトとして認識して欲しかったのだろうな、戦前の政府にはそう認識して欲しかったのだろう。あんなものが知れ渡ったらとんでもないことになっただろう。
戦後の今でも十分にとんでもないがな。奥にはとんでもないものがあった。放射能より恐ろしいものが」
「恐ろしいもの?」
「ここはFEVウイルスの貯蔵施設だ。前にDC残骸に溢れていたスーパーミュータント達はおそらくこいつに惹かれて集まっていたのだろう。教授も想定していなかっただろうな」
「FEV?」
知識としてはライリーも知っている。
スーパーミュータントを作り出すとされるウイルスだ。そして程度の差はあれど誰でも感染していると。
「タロン社はそいつを運び出していた?」
「おそらく。ほとんど残っていなかった。ターミナルを調べたが、貯蔵量がターミナル通りであったのであれば、持ち出した量でキャピタル・ウェイストランド全域を汚染できる量だ」
「で、でも、レッドアーミーが従がってたし、あの科学者がスーパーミュータント関連に知識があれば……」
「そちらも否定できないな。あれだけの量だ。製造する知識があれば再建できるだろう、スーパーミュータントの軍団を」
「……」
「あの科学者が教授やザ・マスターの再来となる可能性は否定できない」
ウィルヘルム埠頭。
キャピタル・ウェイストランドの重要ルートでもある道沿いにある、埠頭。
メガトンとも繋がっているし要塞、リベットシティに行くルートでもある。そういう意味合いで旅人やキャラバンのルートとして知られていたが最近は交通量は滞っている。
火を噴く新種のミュータント蟻が出没しているからだ。
正確に出没しているのはグレイディッチと呼ばれる街なのだが、群れからはぐれた数匹がたまにウィルヘルム埠頭にまで進出していた。とはいえこの近辺の廃ビルにはレイダーとまでは
いかないものの気性の荒い住民が住んでいたり、ウィルヘルム埠頭一帯を取り仕切っているハンターたちの組織もあり、火蟻は食い止められていた。
火蟻の出現でグレイディッチは壊滅したが、生き残りはメガトンに逃げ込み、現在生活している。
何度か討伐の試みもあったがママ・ドルスの偽中国軍騒動、エンクレイプ襲来で討伐が滞り、今に至る。
このルートが栄える理由はもう一つあった。
ウィルヘルム埠頭にあるレストランだ。
ミレルークシチューという名物を売り物にしたレストラン目当てで交通量が多かったのも確かだ。
キャピタル・ウェイストランドではあまり雨が降らない為、露店のレストランではあるが、雨の心配がないため誰もが青空レストランで満足していた。
旅人やキャラバンは減ったが店は繁昌していた。
丸テーブルはほとんど埋まっている。
大半は近くの廃墟に住む、ここの料理で育ってきたような面々だった。
レイダー風の格好をしたものもちらほらといるが借りてきた猫のように大人しい。ここの店主であるスパークルという老婆の顔を立ててのことだった。
実際、老婆はこの近辺に住む者たちの母親のような存在として慕われている。
「それは面白い報告ですね」
丸テーブルの一つ。
2人の女性が相対するように座っていた。1人の女性の後ろには2組の男女が立ち、相対しているもう1人の女性は報告をしている。
アサルトライフルを持っていたり、ショットガンを持っていたりと多少の差異はあったが全員がコート、ハット、44マグナムで武装していた。
レギュレーター。
「横流し、ですか。あなたをリベットシティに派遣してよかったですよ、モニカ」
「ありがとうございます、ソノラ」
ソノラは微笑を浮かべながらシチューを口に運んだ。
モニカの前には何もない。
「注文が遅いですね。……すいませんね、私はここのシチューが好物なので先に食べていますが」
「いえ。お構いなく」
「リベットシティは他の街と比べて官僚的。それに船内ということで密閉的で盗聴もし辛いので調査は難しいのですが……よくここまで調べてくれました。水の横流しもあれば、Dr.マジソンの
研究の横流しもある、ですか。ふぅん。これはなかなか面倒なことになってきましたね」
「はい、ソノラ。そう思います」
「横流しされたものの一つに放射能発生装置、ですか。浄化のテストに使ってたのでしょうかね」
「おそらく」
実際その通りだった。
放射能発生装置は人為的に水を放射能で汚染させ、どの程度まで除去できるか調べる為の物だった。
「ソノラ、私はリベットに戻りますか?」
「あなたはメガトンに行きなさい」
「メガトンに? ではリベットの内偵は?」
「他の同志も既に入ってますし別の者も行かせます。……では私は行きます、シチューが来たようですね、ゆっくり食べていくといいでしょう」
じゃらりとモニカの分のキャップを置いて彼女は立ち上がる。
そしてソノラは呟いた。
冷たい目のままで。
「ローチキングが、自分の王国と称しているケチな穴蔵から出てきました。おそらくストレンジャー本隊が来るものだと推測しています。モニカ、油断しないように」
「はい、ソノラ」
「しかしこれはいい機会ですね。色々と展開は動いている。全て一網打尽にすれば100年分の犯罪を根こそぎにできます。正義の名の元に刈り取らねば」
メレスティ・トレインヤード。
廃列車の貨物が放置された場所。その地下にある駅跡には特殊な一団がひっそりと暮らしている。
血を求める者たち。
吸血鬼。
血液を摂取して生きている者たちではあるが、実際には何の脅威でもなかった。傍から見た来場者の集団ではあるもののリーダーであるヴァンスによって血の渇きを抑える術を全員が
学んでおり実際には一般人と変わりがない。むしろリーダーの気質を受け継いでいる彼ら彼女らは全員が理知的であり理性的だった。
外の人間よりも。
赤毛の冒険者との協定によりヴァンスの一団、ファミリーはアレフ居住地区と平和的に共存している。お互いに尊重し合い、境界荒らさない、そういう取り決めが存在している。
幸いそれらは護られ、かつ、お互いに平和な関係が結ばれている。
「ヴァンス」
「どうしてここにいる? アレフ居住地区の治安維持に派遣しているお前が」
協定の一つにアレフの防衛もある。
その一環でヴァンスは、この理性的で理知的で、美しい容姿を持つリーダーは数名の部下をアレフに駐留させていた。
エンクレイブ襲来の際にはアレフの住人を一時的とはいえ地下の王国に匿った。
「何か問題が?」
「実はハイウェイマンを見ました。サンドマンも。調べたのですが、ローチキングも荒野の穴蔵から動いたらしく。本隊が動いたのではないかと」
「……」
「ヴァンス、どうしますか?」
「招集が掛かったようだな。動かねばならんようだ」
「何だかんだで長旅だったぜ」
「そうですね兄貴」
俺は、無敵のブッチ様はリベットシティからメガトンに帰るべく道を歩いている。
こんなに面倒な旅になるとは思ってなかった。
まあ、結構稼げたからよしとするか。
「シチュー楽しみですね、兄貴」
「だな」
食うのがメインではない。
ゴブに頼まれたからウィヘルム埠頭に向かっている。そこにミレルークシチューがあるらしい。たぶん食堂か何かがあるだろう。シチューが単品でそこに置いてあるわけないしな。
レシピの入手を頼まれたんだが、売ってもらえるんだかな。
うーん。
秘伝の味なのかもしれんし難しいかもな。
まあ、可能ならとゴブは言ってたし、とりあえず美食家ブッチ様の舌を唸らせられるほどの味なのかをワクテカするとしよう。
楽しみだぜ。
「兄貴、あ、あれ」
「うん?」
道の真ん中にでっかいサソリが死んでいる。
ラッド・スコルピオンだ。
放射能で突然変異したデカいサソリ。
そいつが死んでいる。
それはいい。
問題はそのサソリの尻尾を斧で切断してぶつ切りにしている奴がいるってことだ。
誰だ、あれ?
ぼろぼろの布切れが顔を覆い、ローブを着ている。
怪しさ全開だ。
近くにはそいつの物だろう、ナップと玩具の車か、何かジャンクを繋ぎ合わせたボウガンみたいなのが置いてあった。
「よお、何か手伝うか?」
「……」
声を掛けてみる。
そいつは動作を止め、斧を片手にこちらを見ている。
「何か用?」
女だ。
女の声だ。
「気になっただけさ。そいつを丸焼きにして食うのかい? ……うまいのか、それ?」
「毒かあるのに食べるわけないじゃない。毒が欲しいだけよ」
「毒を。何に使うんだ?」
「さっさと通り過ぎな。あたしは忙しいんだ」
「そいつは悪かった。行こうぜ、トロイ。あー、俺はブッチだ。ブッチ・デロリア。あんたは?」
「名乗る理由が? 友達になるとでも?」
「一期一会さ。特に他意はないよ」
「……」
「オーケー。悪かったよ、じゃあな」
「適当に呼べばいい」
「ん?」
「適当に、そう、レディ・スコルピオンとでも」